新海道カフェ

王権の確立

○3世紀後半-4世紀初頭:円墳、方墳、前方後円墳などの古墳の登場

○朝鮮半島では北部の高句麗と半島南部の三韓で馬韓を統一した百済、辰韓を統一した新羅の三国が覇権を競う。
*加羅、任那など弁韓は倭(日本)と深い関係

○5世紀頃:弥生文化の系統である土師器から渡来系の須恵器が主流に

○479年:讃・珍・済・興・武の倭五王の武とされる第21代雄略帝(大泊瀬幼武尊/おおはつせわかたけ[418-479])薨去
○506年:第25代武列帝薨去により第15代応神帝に始まる河内王朝が断絶。

○507年:大連の大伴金村が越前(あるいは近江)から男大述王を招請。男大述王は継体帝として即位。
男大述王は応神五世の孫とされる。

「天皇既に崩りまして、日続(ひつぎ)知らすべき王(みこ)無かりき。故、品太(ほむだの/応神)天皇の五世(いつつぎ)の孫(ひこ)、蓑本杼(をほどの)命を近つ淡海国より上りまさしめて、手白髪(たしらがの)命に合わせて、天の下を授け奉りき」
『古事記』武列記より

「品太王の五世の孫、蓑本杼命、伊波礼(いわれ)の玉穂宮(たまほのみや)に坐(ま)しまして、天の下治(し)らしめしき」
『古事記』継体記より

○512年:大伴金村、百済に任那4県割譲問題によって失脚
○512年:五経博士による儒教伝来
○527年:筑紫国造磐井の乱
○538年:百済から伽藍仏教伝来(『仏教公伝』。『日本書紀』『上宮聖徳法王帝説』によれば仏教伝来は552年)


仏教容認派:蘇我稲目v.s.廃仏派:物部尾輿


○587年:蘇我馬子が物部守屋を攻め滅ぼす
契機は用明天皇が薨去した後の後継者問題
これにより長随彦敗北によって大和朝廷傘下に入った物部氏が大和の地から姿を消す