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[推古朝の政治]
推古帝(在592-628):第33代天皇。越前から断絶した大和朝廷に入った継体帝の第三皇子で、安閑・宜化帝の異母弟である第29代欽明帝の第三皇女にして、異母兄の第30代敏達帝の皇后。
甥の厩戸皇子(聖徳太子;574-622)を摂政とし日本の政治体制の確立に尽力。
最初の女帝:卑弥呼を別として、実質的にトップに立った女性として、第14代仲哀帝の皇后の神功皇后や飯豊皇女がいるが天皇として即位したのは推古帝(豊御食炊屋姫尊[とよみけかしきやひめ]、額田部)が最初。
女帝:これ以降では、皇極・斉明帝、持統帝、元明帝、元正帝、孝謙・称徳帝が即位。また江戸時代では明正帝、後桜町帝がいる。
孝謙帝は皇嗣がいなかったため、持統・元明・元正帝は皇嗣と目されていた皇族が幼少であったために、推古・孝謙帝は政争の緩和を背景として擁立されている。

政策
憲法十七条(604):政治的・道徳的訓戒という意味での憲法。憲法であるため、法律のように罰則規定がないというのは当然。
遣隋使派遣:小野妹子を派遣(607、608)。煬帝は対等外交を主張する日本からの国書の内容に激怒したと伝えられるが、朝鮮半島での高句麗との戦争もあって、裴世清(役職は文林郎)を日本に派遣。608年に朝廷は難波に館を築き難波津に裴世清を迎えた。裴世清の帰国に際して、南淵請安、高向玄理、僧旻などが共に隋に向った。
ちなみに、僧旻と高向玄理は帰国後の大化の改新(645)政府の国博士となったが、南淵請安は外れている。

文化事業
斑鳩寺(法隆寺)造立
『国記』『天皇記』の編纂