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[隋時代(589-618)] |
573年:楊堅が北朝の北周の外戚となる。
578年:楊堅、北周の大司馬就任。
581年:楊堅(在581-604)、北周の静帝の禅譲を受けて隋を建国。
583年:大興城(長安)へ遷都。大興城は旧長安城の東南に築いた。
584年:突厥(552-744)を破る。
同年、黄河と長安を結ぶ大運河広通渠開通。
587年には、淮河と長江を結ぶ大運河溝開通。
590年:府兵制度整備。府兵制度は西魏から北周を経て隋で完成。租庸調を免じる代わりとして全戸から徴兵する兵農一致制度。
594年:関中で大飢饉。文帝に対する不満燻る。
598年:中正官を廃止し、学科試験を導入(「科挙制」)。
同年、高句麗が遼西へ侵攻。
604年:皇太子廣が父の堅を殺害し煬帝(在604-18)として即位。
605年:黄河と淮河を結ぶ通済渠開通。
608年には黄河と天津を結ぶ永済渠開通。
611年:第1次高句麗遠征。遠征は失敗。同年、山東農民叛乱。
612年:第2次高句麗遠征。薩水において高句麗軍に大敗。
613年:楊玄感の叛乱。
614年:第3次高句麗遠征。
615年:突厥帝国の始畢可汗が煬帝を雁門に包囲。
以後、隋帝国内は群雄割拠状態と化す。
617年:隋の武将唐公李淵が息子の李世民の勧めにより挙兵。
618年:煬帝が江都で殺害。同年、李淵が煬帝の孫の恭帝から禅譲を得て皇帝を称する。
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