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[ササン朝ペルシア] |
勃興期
226年:アケメネス朝の発祥地であるイラン南部のパールス地方で農耕イラン人のアルデシール1世(在位:226-241)がパルティアの支配を脱して建国。
ササンは祖父の名前であるササンに由来。
首都:クテシフォン
クテシフォンはパルティア王オロテース2世(在位:前57-前37)以来アルサケス朝パルティアの首都。115年にはローマ帝国のトラヤヌス帝に占領されたがその後回復。
国教:ゾロアスター教
最盛期
241年:シャープール1世(在位:-272)即位。シャープールはイラン人と非イラン人の王の中の王を意味。
即位後、すぐにインドに侵攻クシャーナ朝を破る。メソポタミア、アルメニアにも勢力を拡大。
260年:「エデッサの戦い」でローマ皇帝ヴァレリアヌスを捕虜に。
310年:シャープール1世(在位:-379)即位。
363年:ペルシア遠征を企てたローマ帝国のユリアヌス帝を戦死させる。
混乱期
421年:東ローマ帝国のテオドシウス2世に敗れキリスト教徒に信仰の自由を認める。
484年:中央アジアのトルコ系遊牧民エフタル(白匈奴)に国土を蹂躙される。
復興期
531年:ホスロー1世(在位:-579)即位。
562年:税制・軍政を改革して国力を蓄えた後に東ローマ帝国皇帝ユスティアヌスに戦いを挑む。結果、アンティオキアを攻略し講和。
566年:突厥と同盟しエフタルを挟撃。翌567年にエフタルを駆逐。
シリア、コーカサスおよびエジプトを版図に加え王朝始まって以来の規模に拡大。
ホスロー1世の時代にササン朝文化の黄金期が到来。ホスロー1世は550年頃にホスローの円屋根と呼ばれるタークーイ=キスラを建築。この建築は惜しくも636年にアラブ人の侵攻によって破壊されることになる
590年:ホスロー2世(在位:-628)即位。東ローマ帝国から地中海東岸を奪う。
晩期
642年:「ニハーヴァンドの戦い」でイスラム軍にヤズディギルド3世(在位632-651)敗れる。
651年:ヤズディギルド3世が中央アジアのメルヴで殺害されたことで滅亡。
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