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[レコンキスタとスペイン王国] |
西ゴート族のイベリア半島進出
415年:西ゴート、ワリア王(在位415-419)即位。北アフリカへの侵攻を諦めイベリア半島へ進出。
同年、西ローマ帝国のホノリウス帝との間で協約を結び西ゴート王国建国。
507年:「ビーイェの戦い」。西ゴート王国、フランク王国との戦いに敗れ本拠地をトレドに移す。
584年:西ゴート王国、スエビ王国(409-)を併合。
586年:アタナシウス派キリスト教に改宗。
654年:西ゴート法典を制定しローマ化を推進。
イスラム勢力によるイベリア半島統治
711年:イスラム勢力のウマイヤ朝の第6代カリフ、ワリード1世(在位705-715)がイベリア半島を席捲。西ゴート王ロデリッヒ敗北。以後、西ゴート王国は滅びイベリア半島はウマイヤ朝の勢力下に併呑。
これに対して、西ゴート王国の貴族がレオン王国を建国しレコンキスタ(国土回復運動)を開始。
718年:西ゴート人、アスツリアス王国建国。後のナバラ王国。
732年:「トゥール・ポワティエの戦い」でメロヴィング王国の宮宰カール・マルテルがウマイヤ朝軍を破る。
ウマイヤ朝のヨーロッパ侵攻が止まる。
750年:ウマイヤ朝がシーア派抵抗運動によって弱体化。アッバース朝にとって変わられる。
756年:ウマイヤ朝第10代カリフの孫のアブド・アッフラマーン1世がイベリア半島で後ウマイヤ朝を建国。カリフではなくアミールを称する。
912年:第8代アブド・アッラーフ3世(在位912-961)、初めてカリフとして即位。
アッラーフ3世はキリスト教勢力のアラゴン、カスティリャ王国を
930年頃:カスティリャ王国建国。
1004年:ナヴァール王サンチョ3世(在位-1035)即位。
レオン王国のベルムード3世を下し、カスティリア伯爵領も併合。
1031年:後ウマイヤ朝
幼いヒシャーム2世(在位976-1009,1010-13)を巡る宮廷闘争が内戦に発展し、ヒシャーム3世(在位1027-31)がハンムード家によってコルドバを追放され滅亡。
なお、イスラム勢力自体はナスル朝(1230-1492)が1492年にグラナダ陥落によって滅亡するまでイベリア半島に存続。
イベリア半島のキリスト教徒の国々
1032年:カスティリャがレオン王国から分離し独立王国に。
1035年:アラゴン王国建国。
1037年:レオン=カスティリャ王国成立。
1143年:ポルトガル王国、カスティリャ王国から独立。
1230年:カスティリャ王国がレオン王国を併合
スペイン王国誕生/レコンキスタの完了
1479年:アラゴン王国とカスティリャ王国が合併。フェルナンド5世(位1479-1516)とイサベル(位1474-1504)の共同統治体制。スペイン王国の誕生。
1516年:カルロス1世即位(位1516-1556)。カルロス5世はフェルディナンド5世の娘ファナとハプスブルク家のフィリップとの間の子。
カルロス1世の即位によってスペイン=ハプスブルク朝が開始される。
1519年:スペイン王カルロス1世、神聖ローマ帝国皇帝選出。
フランス王フランソワ1世と神聖ローマ帝国皇帝の座を争った末に皇帝位を獲得。
これにより、スペイン本土のほかオーストリア=ハプスブルク家の領有していたネーデルラント、オーストリア、更に神聖ローマ帝国皇帝としてドイツを支配下に加え空前のハプスブルク大帝国が誕生。
同年、マザランが世界周航に出発(1519-22)。
1521年:「イタリア戦争(1521-44)」勃発。フランスのフランソワ1世とイタリア諸都市の支配権を争う。
同年、コルテスがメキシコを征服。
1532年:コルテスによるインカ帝国征服。
1555年:ドイツで「アウグスブルクの和議」。
1556年:カルロス1世、スペイン王位を息子のフェリペ2世(位1556-98)に譲る。
神聖ローマ皇帝の帝位は弟のフェルディナンド1世に。
1558年:ハプスブルク帝国を築き上げたカルロス1世薨去。
スペイン絶対主義
1554年:フェリペ2世、イギリスのメアリ1世と結婚。
1556年:フェリペ2世、スペイン王として即位。
1568年:ネーデルラント独立運動(-1609)始まる。フェリペ2世のカトリック政策にネーデルラントのカルヴァン派が抵抗し独立運動へと発展。
1580年:ポルトガル王国併合。ポルトガル王家の血統が断絶。フェリペ2世の母親がポルトガル王女であったことからポルトガル王家を相続。
この結果、ポルトガル王国が領有していたアフリカとアジア領を抱え、スペイン王国は「太陽の沈まない大帝国」と呼ばれることになる。
1571年:「レパントの海戦」でオスマン・トルコ帝国を撃破。地中海の制海権を握る。
1588年:イギリスのエリザベス女王がネーデルラント独立運動を支援したことでイギリスとの関係が急速に悪化。この前の年、前スコットランド女王メアリ・ステュアートがイギリスによって処刑されたことを契機としてスペインはイギリスにカトリック君主を立てる目的で無敵艦隊を出動させる。
しかし、「アルマダの海戦」でスペインの誇る無敵艦隊は壊滅状態に。
これ以降、スペインは大西洋の制海権を失い、ネーデルラントの独立運動を抑えるだけの軍事力にも欠くこととなる。
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