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[ゴッホ] |
「ゴッホというと、あの耳の無い自画像がまず浮かんでくる。あの絵以外でも、彼の精神状態をそのまま絵のタッチに反映せているという気がするな」
「彼は、セザンヌとゴーギャンと並ぶ後期印象派の代表的な画家だし、レンブラント以来の天才画家とも称されることがあるように、近代絵画に大きな流れを作ったといわれているわ」
「父親の関係で、もともとは神職を目指していたんだよね。
その辺りが精神的なものを指向するところに現れているのかも」
「それは言えるかも。でも、ゴッホの精神に決定的な打撃を与えたのは、淡い初恋が失恋に終わったということ。ロンドンの大家の娘を好きになってしまうのだけれども、この恋は実らなかった。
その反動で、ゴッホは生涯に渡って他者の愛を切望するとともに他者に対して献身的な愛を注ぐようになっていく。とまぁ、ここまで言うと、キリスト教的な愛であって、理想的なのだけれども、問題はその献身さが裏目裏目に出てしまったというきらいがあるところね」
「もう少し、彼のことを思ってくれる人が多かったのなら、彼の精神もバランスを崩してしまうということはなかったのかもしれない。
ロンドンへは、彼の叔父が経営に関与しているGoupil商会の支店で働くために渡ったわけだけど、失恋の打撃は相当なもので、彼は働く気力が全く無くなってしまう」
「ロンドンの雑踏というのも病んだ心には良くなかったんでしょう。
そんな中で、絵を描くことに目覚めていく」
「ベルギーのボリナージュ(Borinage)には1880年まで滞在して、その後はオランダに移って絵を描くわけだ。
その絵を売って生活費に充てれば良かったんだろうけど、そこは彼の他者への愛の精神が許さないといったところだったんだろうな」
「貧しいまま....
生活費はもっぱら、弟のテオからの仕送りに頼る日々。彼の絵の才能を見込んだ義理の従兄弟の勧めでアントワープのアカデミーに入門してもいる。だけど、彼は生来の個人主義というのか、どうもアカデミーの既成の方法には馴染めず仕舞」
「そして、1886年の2月にはパリへと旅立っていく。パリでの成果は大きいね、何と言っても、そこで、ピカソ、ドガ、そしてロートレック
に出会うのだし、浮世絵の影響も強く受ける」
「1888年2月には彼はArlesに腰を据えて制作に打ち込む。この打ち込みが再び精神のバランスを崩す素になってしまう」
「ということで、ゴーガンとパートナーになってバランスをとろうとする。
ところが、そこで悲劇となる」
「口論の末に、完全に切れてしまって自分で自分の耳を切り落としてしまう....
もう限界だったんでしょうね。
自分から施設に入って療養した後で、結婚したテオのいるオーヴェール・シュル・オワーズに住むことになるけど、もはや彼の精神が安らぐということはなく、1890年に命を絶ってしまう」
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