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[前漢滅亡] |
昭帝時代
前87年:第8代皇帝、昭帝即位(位:前87-前74)。
武帝の死後、わずか8歳で即位。そのため、武帝時代に外政で活躍した霍去病の弟の霍光が激しい政争の結果、摂政として政権を担う。
前81年:酒の専売制が激論の末に停止。
宣帝時代
前74年:昭帝薨去。甥の廃帝即位するも廃され、霍光によって武帝の曾孫である宣帝が第10代皇帝として即位(位:前74-前49)。
前72年:烏孫とともに匈奴を破る。
前57年:匈奴14代王呼韓邪が兄と国を二分する(匈奴混乱)。
前51年:東匈奴の呼韓邪単于が宣帝の軍門に下り援助を乞う。
元帝時代
前49年:第11代元帝即位(位:前49-前33)。
前36年:呼韓邪単于の東匈奴と同盟し西匈奴を滅ぼす。
前33年:東匈奴の呼韓邪単のもとへ王昭君が嫁ぐ。
成帝時代
前33年:第12代成帝即位(位:前33-前7)。
成帝の生母の王一族が王宮を支配し各地で内乱続発。
前8年:王莽が大司馬就任。
当初、王莽は外戚王一族の中では地位は高くなかった。
前漢滅亡と新建国
前7年:第13代哀帝即位(位:前7-1)。
元帝傅昭儀の子の定陶恭王劉康の子。定陶王を承継するも、後に皇太子として擁立。
外戚王氏一族を排除し、武帝・宣帝の治政復活を目指すも、結局は皇太太后傅氏、母丁姫の丁氏一族の躍進を許した。
この時期、王莽は失脚。
前1年:第14代平帝即位(位:前1-後5)。
哀帝死後、太皇太后王政君が再び宮中を掌握、王莽とともに9歳の中山王劉欣を平王として擁立。平王に実権はなく飲酒の日々を過ごし若死。
王莽による毒殺されたとする説もある。
後5年:王莽が広戚侯劉顕の子の孺子嬰を皇太子、自らを仮皇帝と称する。
後8年:禅譲を受けて新を建国。
後18-後25年:王莽打倒と漢室復興を掲げる「赤眉の乱」勃発。
後23年:劉玄(更始帝)によって王莽が殺され新が滅びる。
後25年:更始帝が赤眉軍により敗死。
同年、劉秀が統率を欠いた赤眉軍を討伐し後漢初代光武帝として即位。 |
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