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[円山応挙(1733-95)]

現在の京都府亀岡市に当たる丹波国桑田郡の農家出身の画家。主水と称し、仙嶺と号した。
若い頃、京都の玩具屋尾張屋勘兵衛のもとで奉公し、18世紀前半にオランダからもたらされた眼鏡絵に触れる。後に画才を勘兵衛に見出され狩野派の石田幽汀に入門。そこで、三井家、文人画家与謝蕪村(1716-83)、儒学者の皆川淇園や江戸博物学の創始者木村兼葭堂と知己を得る。こうした知識人との交流を通じて独自の画風を確立していった。
桜町帝に仕える蓮池院尼公の下で円満院門主祐常などの庇護を受け絵師として活躍したとも伝えられる。
応挙寺こと大乗寺(兵庫県香住町)に弟子達との大作百六十五面の襖絵が伝わる。
西洋画の遠近法と中国画の三遠法を組み合わせる絵画技法は佐々木丞平京都大学教授らによって「虚実一体空間」と名付けられた。絵画を複数組み合わせて三次元空間を演出することでの現実空間への接近。
それは二次元への写像の限界を打ち破った瞬間とも表現出来る。
写実を重視する画風は円山・四条派に受け継がれていった。

※三遠法とは、山を見上げる高遠法、遠くを見通す平遠法、谷を見下ろす深遠法を組み合わせる技法。