百済王族の出身の氏.百済最後の王である義慈王[扶余義慈;599/660]の子である善光[扶余勇;?/693]が持統朝で百済王[くだらのこにきし]の名号を賜ったことを嚆矢とする.百済王善光の孫の百済王遠宝は,『続日本紀』文武朝4[700]年10月己未条に常陸守に任ぜられたことが記されている.
『続日本紀』延暦5[786]年7月辛巳条に,百済の貴須王の末裔である津連真道の菅野朝臣賜姓に際して,百済王仁貞・元信・忠信が連署している.このことから,百済系渡来氏族の宗家的地位にあったことが確認できる.
百済王一族は河内国交野郡[大阪府交野市周辺]と摂津国百済郡[大阪市の一部]を本拠とした.大阪府枚方市中宮西之町に鎮座する百濟王神社は百済王氏の廟所.
他に,朝臣,公,造,宿禰の姓の一族や無姓の一族もあり.
末裔氏族 | 和気氏/伴氏/佐伯氏/ 百済王神社旧神主家である三松氏 常陸の税所氏 |
初版:2023年12月01日[金].
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