多田

〔読み〕ただ[Tada], おおた[Ohta], たた[Tata].
〔分布〕大阪府, 東京都, 兵庫県.
〔清和源氏頼光流〕六孫王経基の嫡男である源満仲[延喜12-04-10〔912-04-29〕/長徳3-08-27〔997-10-06〕]が摂津国川辺郡多田を拠点として多田と称したことが起源.多田は現在の兵庫県川西市全域,宝塚市北部,三田市東部,猪名川町全域に相当.源満仲の長子の源頼光[天暦2〔948〕/治安元-07-19〔1021-08-29〕]の子孫が多田を名乗り摂津源氏となり,弟の源頼親の子孫は大和源氏,同じく弟の源頼信の子孫が武家源氏嫡流の河内源氏となっていく.なお,多田の地は,源満仲の曾孫である源[多田]頼綱[万寿2〔1025〕/承徳元-閏01-27〔1097-03-13〕]が摂関家に寄進し多田荘となった.
馬場氏,山県氏,能勢氏,中川氏,高山氏を輩出.
〔大和国人多田氏〕清和源氏頼光流の多田経実を祖とする.佐比山城に拠った.
〔摂津宿野城多田氏〕源満仲の弟の源満快の子孫.
〔甲斐多田氏〕清和源氏頼光流.甲斐武田氏家臣.武田信虎信玄の2代に仕えた足軽大将の多田満頼[?/永禄6〔1563〕]が知られる.その三男の多田昌俊[多田新十郎]は武田信虎の勘気を蒙り,岩槻太田氏に仕え,現在の埼玉県春日部市粕壁東の地に多田新十郎屋敷を構えたことが知られている.太田氏と共に小田原北条氏に仕え,北条氏の滅亡後は帰農し,子孫は次郎兵衛家と八郎左衛門家として続いた.なお,多田昌俊の子のうち多田昌綱[永禄10〔1567〕/慶長10〔1605〕]は甲斐国で大伯父の土屋昌続に育てられ武田氏の滅亡後は徳川氏に仕えた.江戸時代には旗本として続いた.
〔伊豆多田氏〕源頼政の次男,もしくは,源兼綱の子の源頼兼を祖とする一族.
〔下総多田氏〕下総国香取郡多田郷[千葉県香取市多田]を発祥の地とする桓武平氏良文流千葉氏の一族.
〔武蔵多田氏〕武蔵七党の横山党の中条氏の庶家.武蔵国北埼玉郡中条郷[埼玉県熊谷市中条]を本拠とした中条氏の一族である多田忠明を祖とする.多田忠明は陸奥国和賀郡を本拠地とした国人の和賀氏の祖でもある.
〔地名〕千葉県香取市多田, 栃木県佐野市多田町, 新潟県佐渡市多田, 石川県かほく市多田, 福井県小浜市多田, 京都府綾部町多田町, 奈良県御所市多田, 和歌山県海南市多田, 兵庫県川西市西多田・東多田・多田院, 兵庫県丹波市春日町多田, 兵庫県多可町加美区多田, 兵庫県姫路市山田町多田, 島根県川本町多田, 島根県安来市多田, 岡山県真庭市多田, 岡山県津山市多田, 広島県広島市佐伯区湯来町大字多田, 広島県世羅町多田, 広島県三原市多田, 山口県岩国市多田, 愛媛県大洲市多田, 福岡県飯塚市多田, 鹿児島県阿久根市多田.

初版:2024年05月22日[水].

デザイン名字.





















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