藤原北家長家流那須氏族.栃木県芳賀郡茂木町千本を発祥の地とする.
蘆野氏・伊王野氏・福原氏・大関氏・大田原氏と並ぶ那須七騎の一つ.那須与一の兄・為隆が源頼朝より下野国千本を得て千本と称したことが始まり.
代々,千本城[栃木県芳賀郡茂木町町田]に拠った.
天文20[1551]年,千本資俊[1519-1586]は宇都宮氏家臣の芳賀高定[1521-1588]の調略を受け那須高資[-1551]を千本城において謀殺.これは,那須高資が宇都宮尚綱を討ち取ったことへの報復であった.後に,千本資俊は那須高資と対立していた異母弟の那須資胤[-1583]が那須家の家督を承継すると許されて帰参.
千本資俊・資政父子は大関高増[1527-1598]と対立.大関高増と大田原綱清[1538-1590]は天正13[1585]年に那須資晴[1557-1610]の了承を得て千本資俊・資政父子を太平寺において誘殺.茂木治清の子で,千本資政が産まれるまで千本資俊の養子となっていた義隆[1541-1615]を千本家の当主に据えた.
家紋は丸に一文字など.
出典:20181121-1200168C