兵庫県神戸市西区伊川谷町前開[伊川荘]を発祥の地とする.
伊川荘は鎌倉時代には梶原景時が地頭兼預所となっている.元弘3[1333]年には預所は清原忠民が務めていたことが知られる.また,清原忠民が永福門院[西園寺鏱子,伏見天皇皇后]・北山殿[西園寺公宗]・深草殿の家門繁昌を祈願し太山寺に寄進を行っている.このことから,伊川荘は西園寺家領であり,領家が深草氏であったとされる.西園寺公宗[1310-1335]の父・実衡[1288-1326]の叔母が西園寺鏱子[1271-1342]という関係にある.
応永16[1409]年,赤松満則[1366-1392]が室町幕府第3代将軍・足利義満[1358-1408]から伊川庄塩岡比条上下村を安堵される.以降,伊川荘は赤松氏が知行.やがて,伊川荘は西園寺寧子[1292-1357]が建立した大光明寺の領するところとなり,大光明寺住持竺関[瑞要]が細川政元[1466-1507]の近臣である細川遠州家の上野玄蕃頭[細川元治]を補任.赤松氏との間で争いとなる.室町幕府の裁定により,赤松氏に引き渡され,赤松氏の被官である明石氏が代官となっている.
なお,伊川荘には文明18[1486]年に代官の明石法眼周防守宗安が高畑城を築城している.また,高倉右近将監範仲が守った太山寺城もあった.
家紋は花菱など.
No:19951117-1467