岡山県岡山市に拠った国人領主の家柄.備前松田氏の配下にあった金光備前は大永年間[1521-1528]には岡山城[石山城,金光要害]を居城としていたことが知られる.金光備前には子がいなかったため,濱野[岡山市浜野]の能勢氏の子・与次郎宗高を養子として迎える.金光宗高[-1570]は三村氏に城を落とされると三村氏に従い,その三村氏が宇喜多氏に敗れると宇喜多氏の配下として組み込まれた.しかし,金光宗高は宇喜多直家[1529-1581]から毛利氏への内通の嫌疑を受け自刃.子の金光文右衛門・太郎右衛門兄弟は宇喜多氏に仕えた.
家紋は丸に九枚笹など.