柏山

桓武平氏葛西氏族.岩手県胆沢郡金ヶ崎町を領した国人.大林城[金ヶ崎町永沢]を居城とした.大林城は百岡城ともいい,唐梅館館主・長坂千葉頼胤の子・百岡[千葉]胤広が拠点としたという.その後,葛西清重の家臣・千葉左近明広[平次郎盛春]の拠るところとなった.この明広が柏山を称したことが柏山氏の始まり.

柏山氏は百岡氏を支配下に組み込み,更に筑紫三田氏・美濃大内氏・近江蜂屋氏などの一族が参集し一大勢力を築いた.

柏山氏は鎌倉時代は葛西氏の家臣であったが,南北朝時代から自立.柏山重朝は薄衣城主・薄衣清胤[美濃入道]により漢の名将・樊噲に擬えられている.

柏山明吉[-1590]は伊達稙宗・晴宗父子間の内紛である天文の乱[1542-1548]に際して伊達晴宗[1519-1578]に与したことが知られる.また,永禄8[1565]年には内西根城主・新渡戸頼長を攻め取っている.しかし,柏山明吉の嫡子・明国に対し,次男・明宗,三男・明長,四男・折居明久が叛旗を翻し家督を争ったことで弱体化.豊臣秀吉による奥州仕置によって改易.折居明久は奥州仕置に反発して起こった葛西大崎一揆[1590]の首謀者の一人とされる.

柏山明宗の子・明助[1578-1624]は南部家に仕え,伊達政宗の意を受けた和賀忠親[1576-1601]の叛乱を鎮圧した功績により花巻岩崎城代に任ぜられた.柏山明助が世を去ると,その嫡子・明定と次男・明信,三男・明道が相次いで早世したため無嗣断絶.

家紋は三つ柏など.





















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