菱刈

藤原北家頼長流.藤原頼長[1120-1156]は保元の乱で崇徳上皇として戦い敗死.その子らは配流に処せられた.しかし,孫の隆重[1141-]の子・重妙は幼かったために比叡山に送られた.

その後に,後白河天皇から牛屎院・太良院からなる菱刈両院を賜った.それを,源頼朝が重ねて所領安堵し,重妙は菱刈両院へと下向.これが菱刈氏の始まり.

室町時代になり島津氏が薩摩国守護職となると,菱刈氏も島津氏に従った.その島津氏が総州家と奥州家に分かれて対立.菱刈氏は奥州家に与した.とはいえ,菱刈氏は島津氏の配下に組み込まれた訳ではなく,相良氏と姻戚関係を結んで独立した勢力として島津氏と対峙.

しかし,永禄12[1569]年に菱刈隆秋は島津義久[1533-1611]に降伏し軍門に下った.

家紋は丸に九枚笹など.





















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