垂仁天皇の皇子の意知別命の後裔氏族.近江国栗太郡小槻を発祥の地とする.
平安時代に小槻宿禰姓を賜姓され,太政官弁官局における左大史の他に算博士・主殿頭を世襲.
藤原道長の政所家司でもあった小槻奉親[応和3[963]/万寿元[1025]]が太政官弁官局の史中の最上首である大夫史に任ぜられたことから官務家と称された.そのため,小槻氏の氏長者を官務長者・史長者という.また,少納言局の局務であった中原氏と並び立ち,大槻氏と中原氏は両局と呼ばれた.
鎌倉時代に壬生家と大宮家に別れた.