秦忌寸流惟宗朝臣島津庶流.薩摩国守護島津氏4代当主・島津忠宗[1251-1325]の子・資久が日向国三股院樺山村[宮崎県北諸県郡三股町樺山]を得て樺山を称したことが始まり.
第2代の樺山音久以来,野々美谷城を本拠地とした.しかし,大永元[1521]年に伊東氏の攻撃を受け,樺山長久・信久父子は野々美谷城を退去し,大隅国小浜・竪利の生別府城[おいべっぷ]へと移る.これを契機として,島津忠良・貴久父子に従う.また,樺山信久の嫡男・善久は島津忠良の娘・御隅を正室に迎え島津家との関係を強化.
樺山善久は本田薫親との戦いに敗れ生別府城を奪われるが,後に奪還.島津家の領国拡大に貢献.
池尻氏 | 樺山音久の子・惟音を祖とする. |
外城氏 | 樺山教宗の子・久泰を祖とする. |
宮丸氏 | 樺山長久の子・久形を祖とする. |
音堅氏 | 樺山家庶流が名乗った名字. |