細野

藤原南家為憲流長野氏族.三重県津市細野を発祥の地とする一族.

南北朝時代,細野家は伊賀街道に面し,長野川と板谷川に挟まれた丘陵に築いた伊勢細野城[三重県津市美里町北長野字細野]に拠った.その後,細野藤光は永禄年間[1558-70]に安濃津城を築城.この細野藤光は長野工藤氏の長野稙藤[1504-1562]の子で分家に当たる細野家を継いだ人物.細野藤光の子・細野藤敦[1541-1603]は永禄11年[1568]年,織田信長の侵攻に対し長野具藤[1552-1567]に徹底抗戦を主張.一方,弟の分部光嘉[1552-1601]は織田信長の弟・織田信包[1543-1614]を長野家に迎えるべく画策.分部光嘉は長野具藤に細野藤敦が織田方に内応していると讒言し,長野具藤に細野藤敦討伐の兵を挙げさせる.これに対して,細野藤敦は長野具藤を討ち破り多芸城へと敗走させる.結果として,細野藤敦は織田信包を長野家の当主として迎え入れた.

ところが,天正5[1577]年,細野藤敦は織田信包に謀反.鎮圧された細野藤敦は滝川一益の子・八麿を養嗣子として迎え入れた.天正8[1580]年に再び織田信包に居城・安濃津城を攻められ蒲生氏郷を頼って亡命.その後,豊臣秀吉の家臣となる.関ヶ原の戦いでは西軍に属したため改易.





















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