建部姓禰寝氏族.大隅国禰寝院を領していたことが禰寝と称した由来.大宰府在庁官人であった頼光は建部氏でありながら権勢に肖り藤原頼光と名乗った[『禰寝文書』].
南北朝時代になると,禰寝清成・土持宣栄は北朝方に与し島津貞久とともに,南朝方の肝付兼重・伊東祐広と対峙.その後も独立した国衆としての地位を保ちながら,島津氏や肝付氏と時に結び時に干戈を交えた.
永禄年間に,禰寝重長[1536-1580]は,伊地知重興[1528-1580]・肝付兼亮[1558-1634]と同盟し島津氏に叛旗を翻す.しかし,禰寝重長は同盟から離脱し島津義久に降伏し家臣として組み込まれた.家紋は立ち梶の葉など.