藤原北家秀郷流下河辺氏族.平安時代末期,下河辺行義の子の政義が増田を称したことが起源.大胡城を攻め落とした金山城主・横瀬国繁によって増田氏を城代として派遣したという.
一方で,増田[益田]行綱が大胡城を築城したともいう.増田[益田]行綱の孫の修茂は享徳年間[1452-54]に大胡城城主の地位を相続し,修茂の子の茂政の代に那波氏に敗れて新田へと亡命.この増田[益田]修茂は大胡家を相続していたともされる.
群馬県前橋市上増田・下増田を発祥の地とする.なお,上増田と下増田はもともと一村で増田村であった.
家紋は桝に桝掻きなど.