石持ちに十字

薩摩島津氏の一族・川上氏の家紋.

川上

惟宗氏島津氏支族.島津宗家5代当主・島津貞久の庶長子・頼久が足利将軍家から薩摩加世田別府半分地頭職を得たことが起源.5代・島津兼久の時には薩摩日置郡伊集院の地頭職を得ている.島津行久の時,薩摩国川辺郡川上郷を得て川上を称した.

島津氏14代当主・島津勝久[1503-1573]の家老職であった第10代・川上昌久[-1535]は重臣16名による連判状によって末弘忠重を退けるように諫言し,受け入れられず末弘忠重を殺害.この事件によって,島津勝久により川上昌久は切腹に追い込まれた.残された川上昌久の家臣達は居城に籠城し抵抗.島津勝久の軍勢を退けた.川上家に薩州島津家の島津実久[1512-1553]も同調.家臣団の離反もあり島津勝久は豊後国へと亡命.

島津勝久は島津氏の分家である伊作・相州家の島津忠良[1492-1568]の子・貴久[1514-1571]を養嗣子としていたことから,伊作・相州家の島津忠良・貴久父子は薩州島津家の島津実久を退けて,島津貴久の島津宗家相続を実現.

川上家は島津忠良から称賛され,川上昌久の遺児である久隅は相州家に仕えた.

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.