隅切角に隅立四つ目結

天草諸島を本拠地として活躍した天草五人衆[志岐・天草・大矢野・上津浦・栖本]の天草氏の家紋.

天草

大蔵氏.大蔵氏は寛仁3[1019]年に大蔵種材が任じられて以来,代々,大宰大監を世襲した.その一族の大蔵種増が本砥島の地頭職を得て天草氏を称したことが天草氏の起源.

元文2[1205]年に菊池氏一族の兵藤左衛門尉光弘が志岐六ヶ浦の地頭職を得て志岐氏を名乗り勢力を拡大.志岐氏は在地勢力である天草氏を圧倒.鎌倉時代後期には天草氏の宗家は没落し,分家であった河内浦氏が天草氏を称すようになった.

享禄年間[1528-1532]に天草尚種が本砥島の支配権を奪還.天草尚種の娘を妻とした分家の瀬戸種元は天草尚種の子・鎮尚の後に家督を承継.天正15[1587]年に豊臣秀吉が九州平定すると臣従し本領安堵を受けた.

しかし,天正17[1589]年に小西行長が宇土城の城普請を要求すると,志岐鎮経・諸経父子,大矢野種基,上津浦種直,栖本親高とともに叛旗を翻す[天草合戦].鎮圧のために派兵された加藤清正により居城である本渡城を落とされ滅亡.

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.