肥前国の国人衆である波多氏の家紋.
松浦党.上下に分かれていた松浦党のうちの上松浦党の最大の一族.渡辺綱[953-1025]の曾孫で松浦氏の祖・松浦久[1064-1148]の子・松浦持が康和4[1102]年に肥前国松浦郡波多村を本拠地とし波多氏を称したことが起源.
天文11[1542]年に波多盛が亡くなると,有馬晴純[1483-1566]の子・藤童丸が名跡を継ぎ波多鎮[-1594]となった.これに対して,日高資[ひだ たすく]らが波多盛の弟・波多志摩守,波多盛の甥・波多政の擁立を目指す.不穏な空気が流れる中,日高資が毒殺されたことで日高資の子・日高喜が肥前国鬼子岳城[岸岳]城から波多親を追放.
天正5[1577]年,波多親[波多鎮]は龍造寺隆信の支援で鬼子岳城[岸岳]城に復帰.豊臣秀吉による朝鮮出兵に際する不手際により改易.
Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.