豊前国の国人衆である豊前長野氏の家紋.
桓武平氏貞盛流.保元2[1157]年,平時盛の子・康盛[平清盛従弟]が豊前国司として下向し豊前国規矩郡長野を本拠地としたことが起源.豊前長野城,次いで,馬ケ岳城を居城とした.
戦国時代には,豊前国守護・大内氏に従っていた.しかし,大友義鎮[1530-1587]が豊前国へと進出すると,永禄4[1561]年に大友方となる.
秋月文種の子が長野胤盛の養嗣子として長野助盛[1550-1611]となると,兄の秋月種実とともに大友義鎮への攻撃を開始.永禄8[1565]年,大友義鎮により小三岳城を攻められた長野助盛は降伏.
永禄11[1569]年,それまで,長野助盛を支援してきた毛利元就が豊前国に侵攻.長野氏は長野退治と呼ばれるまでに集中的に攻撃され壊滅的打撃を被る.逃れた長野助盛は天正11[1578]年に馬ヶ岳城に入城.天正14[1586]年,島津勢による圧力に晒されていた長野助盛は豊臣秀吉に助けを求め軍門に降った.
Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.