木瓜に二つ引き

以下の家が家紋としている.

大伴氏族.大伴氏の後裔氏族.大伴氏は物部氏と並んで朝廷の軍事を管掌した一族.摂津国住吉郡[大阪府大阪市]を発祥の地とし,後に大和国高市郡築坂邑へと本拠地を移した.

雄略朝の大伴室屋の代に葛城氏に代わって台頭し,武烈朝の大伴金村の代に全盛期を迎えた.大伴金村は継体天皇[450-531]の即位に貢献.大伴金村は任那割譲の責任を負って失脚.時代は蘇我氏と物部氏の体制へと移る.

その後も大伴氏は公卿を輩出するが,神亀6[729]年の長屋王の変に連座して大伴旅人が左遷,天平勝宝9[757]年の橘奈良麻呂の乱への連座で大伴古麻呂・大伴古慈斐[695-777]が失脚,延暦4[785]年の藤原種継暗殺事件で大伴継人[-785]が処刑,と勢力が衰える.

弘仁14[823]年に大伴親王が淳和天皇として即位するとその諱を避け,大伴氏は伴氏に改めた.

貞観8[866]年の応天門の変で伴善男[811-868]・中庸父子が首謀者として流罪に処せられる.その後,伴保平[867-954]が参議に任ぜられたことを最後に朝廷から伴氏の影響力は消えた.

市部氏・金丸氏などの甲斐伴氏,桂宮家書大夫の尾崎家,地下家である小野家,肝付氏,三河伴氏などは伴氏の一族.

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.