大隅国の戦国大名・肝付氏の家紋.
伴宿禰.伴大納言こと伴善男[811-868]の玄孫である伴兼行が薩摩掾として下向.その孫・伴兼貞が鎮西平氏で島津荘開墾者の大宰大監平季基の娘を妻とし,大隅国肝属郡の弁済使ともなったことで肝属郡を本貫地とした.その子・兼俊が肝付[肝属]を称した.
戦国時代,肝付兼続[1511-1566]は大隅国をほぼ制圧.豊州家島津忠親[1512-1571]・島津貴久[1514-1571]と激闘を繰り広げた.しかし,永禄9[1566]年11月14日,島津貴久によって居城の高山城は落城.肝付兼続も落命.
以降も島津氏と覇を競うが,肝付兼続の子・肝付兼亮[1558-1634]の代に伊地知重興[1528-1580]・禰寝重長[1536-1580]が島津氏に下ると劣勢となり,天正2[1572]年に島津義久[1533-1611]の家臣となった.
Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.