重衡捕われの松跡

山陽電車須磨駅のすぐ前にある。前といって本当に改札を出てすぐの所。史跡巡りではいつも迷って予定通りに行かないということが多いけれど今回ばかりは実にあっさり。松の跡も2代目3代目の松が植えられている訳でもなく実にあっさり。

平重衡は清盛の五男で奈良の大仏を焼き払った人物としても、「武勇の誉れある御仁」としても知られた人物。生田の森の戦いでは副将を勤めていたが、梶原源太景季に馬を射られて捕虜となった。捕らわれた重衡に村人が名物の濁酒を勧めると、重衡は喜んで「ささほろや波ここもとを打ちすぎて須磨でのむこそ濁酒なれ」という。重衡は鎌倉に送られた後、奈良の法師達に引き渡され、1185年6月23日に木津で刑死した。

2006.05.27

posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.