松前家
松前家は清和源氏義光流との伝承を持ち,甲斐源氏の庶流を名乗り,糠部郡蠣崎を本拠地とし安東家の家臣だっとされています.15世紀半ば,安東政季[-1488]は,1454[享徳3]年,南部氏との戦いに破れると若狭国の守護武田信繁の親戚である武田信広[1431-1494]とともに下国安東家の支配下の蝦夷島に渡り,被官であった上ノ国花沢館主の蠣崎季繁を頼ります.武田信広は蠣崎季繁の養女となった安東師季の娘を妻とし蠣崎を名乗ります.この蠣崎家が江戸時代に安東家から独立し松前家を名乗りを変えました.
無高 一万石[格],外様,柳間,城主
歴代藩主
- 歴代藩主
- 初代松前慶広
- 第2代松前公広
- 第3代松前氏広
- 第4代松前高広
- 第5代松前矩広
- 第6代松前邦広
- 第7代松前資広
- 第8代松前道広
- 第9代松前章広
- 第10代松前良広
- 第11代松前昌広
- 第12代松前崇広
- 第13代松前徳広
- 第14代松前修広
松前慶広 Yoshihiro Matsumae
初代藩主.
- 1548[天文17/09/03]蠣崎氏の第5代当主・蠣崎季広[1507-1595]と河野季通の娘との間に大館館山城で生れる.
河野季通[Suemichi Kohno;-1512]は伊予河野一族で安藤政季・忠季に従って宇須岸河野館を守る.しかし,1512[永正9]年,アイヌによる襲撃を受け自刃. - 1561[永禄4]長兄・蠣崎舜広[Toshihiro K.;1539-1561]と次兄・明石元広[Motohiro Akashi;-1562]が姉で南条広継[Hirotsugu Nanjoh;1529-1562]の正室によって毒殺.
- 1562[永禄5]蠣崎季広が舜広らの毒殺に関与したとして南条広継を自刃させる.
- 1582[天正10]蠣崎季広が隠居し,慶広が蠣崎家の当主に.
[〃]安東実季[Sanesue Andoh;1576-1660]が浅利氏再独立を目指す出羽比内の浅利頼平[Yorihira Asari;-1598]の領地に攻め入る.この軍事行動は豊臣秀吉の惣無事令に違反することから豊臣政権による裁定に持ち込まれる. - 1591[天正18]蠣崎慶広は蝦夷地代官として,主君・安東実季とともに上洛し豊臣秀吉に謁見.蝦夷地所領安堵と従五位下・民部大輔に補任される.
[天正19]九戸政実の乱が勃発.
蠣崎慶広は豊臣秀吉の命により討伐軍として参加. - 1598[慶長3]出羽比内の浅利頼平[Yorihira Asari;-1598]が急死し浅利家は解体.
posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.