後伏見天皇

滋賀の番場の蓮華寺

伏見天皇と参議左近衛中将・五辻経氏の娘・藤原経子との間の第一皇子にして第93代天皇.名は胤仁といいます.

在位は1298年8月30日(永仁6年7月22日)から1301年3月2日(正安3年1月21日)であって,鎌倉時代の末期の持明院統の天皇.

1298年に父親の伏見天皇から譲位されて即位しますが,1301年に大覚寺統の圧力によって後二条天皇に譲位します.1308年に弟の花園天皇が即位すると院政を始めます.

1333(元弘3/正慶2)年に後醍醐天皇による倒幕運動である元弘の乱が勃発.同年5月に,足利尊氏,佐々木道誉,赤松則村などが京都の六波羅探題を襲撃します.六波羅探題は足利尊氏らに攻め落とされ,六波羅探題北方の北条仲時(普恩寺流;1306-1333)は南方の北条時益(政村流;-1333)と一緒に,光厳天皇・花園上皇とともに後伏見上皇を連れて鎌倉へと落ち延びようとします.

しかし,近江国で北条時益は討死.北条仲時は番場蓮華寺にて佐々木道誉の軍勢に阻まれて一族432人が自刃.その自刃の前に佐々木道誉に対して,光厳天皇・後伏見上皇・花園上皇を渡しています.

光厳天皇は後醍醐天皇が鎌倉幕府の倒幕運動が発覚して京都から落ち,幕府によって退位させられた際に,幕府によって擁立された天皇.そのため,鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇が復権すると即位自体を否定されることになります.そして,後伏見上皇の院政も停止され出家しました.

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