飯山藩を治めた本多家は本多康重[1554-1611]を祖とする家で,近世において大名13家,旗本45家を出した本多一族の中では豊後守家と呼ばれる家です.
本多康重は1562[永禄5]年に元服し徳川家康から片諱を与えられて康重と名乗ります.家督を継いだのは1577[天正5]年.
徳川家康の江戸入府に伴い,三河田原城から上野白井に移り1万石を拝領します.更に,関ケ原の戦いの後,三河岡崎5万石を得ます.
1717[享保2]年に,三河岡崎藩主・本多忠利の子・本多助久の二男・助芳が越後糸魚川2万石より3万5千石で入封して以来,明治維新まで飯山藩主として続きました.
本多家は藤原北家を出自と称する三河の土豪.豊後本多に住んでいたことから本多を名乗ったと伝わります.
本多助時の時代に松平康親に仕えました.
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