藤原氏の祖である中臣鎌足[614-669]を産み出した中臣氏は,忌部氏とともに神事・祭祀をつかさどった一族.本拠地は山城の山階中臣とも,河内国の河内郡・高安郡とも言われます.
中臣氏は天孫降臨五伴緒の天児屋根命[Amanokoyane-no-Mikoto]の子孫.
敏達・用明朝には中臣勝海[-587]が宗家であったと考えられています.しかし,中臣勝海は敏達天皇14[585]年3月に,物部守屋[-587]とともに疫病流行の原因が蘇我氏の崇仏にあると奏上.用明天皇[-587]が仏教に帰依するに及んでも仏教に反対し続けます.
遂には,587年7月,物部守屋と蘇我馬子[-626]が軍事衝突[丁未の乱].中臣勝海も兵を集めますが,物部守屋が敗れたことを知り,敏達天皇の第一皇子・押坂彦人大兄皇子に投降.押坂彦人大兄皇子の舎人・迹見赤檮[Tomi-no Ichii]により討たれます.これにより,中臣氏の宗家は中臣常盤に移ったと考えられています.
そして,中臣常盤の子孫であり,大化の改新[646]において中大兄皇子[天智天皇;626-672]の腹心として活躍したのが中臣鎌足です.
日本神話において,瓊瓊杵尊[Ninigino-Mikoto]の降臨に従った五神のことを天孫降臨五伴緒[Itsutomonoo-no-Kami]と言います.五神というのは,天児屋命[Amanokoyane-no-Mikoto]・太玉命[Futodama-no-Mikoto]・天鈿女命[Amanouzume-no-Mikoto]・石凝姥命[Ishikoridome-no-mikoto]・玉祖命[Tamanooya-no-Mikoto].
天孫降臨五伴緒 | 子孫 |
天児屋命 | 中臣連 |
太玉命 | 忌部首 |
天鈿女命 | 猿女君 |
石凝姥命 | 作鏡連 |
玉祖命 | 玉祖連 |
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