歴代 | 藩主 | 生没 | 官位 | 備考 |
初代 | 津軽為信 | 天文19/1/1[1550/1/18]-慶長12/12/5[1608/1/22] | 大浦守信の子 | |
2代 | 津軽信枚 | 天正14/3/21[1586/5/9]-寛永8/1/14[1631/2/14] | 従五位下,右京大夫 | 津軽為信と栄源院の子 |
3代 | 津軽信義 | 元和5/1/1[1619/2/15]-明暦元/11/25[1655/12/22] | 従五位下,土佐守 | 津軽信枚と石田三成の三女・辰姫の子 |
4代 | 津軽信政 | 正保3/7/18[1646/8/28]-宝永7/10/18[1710/12/8] | 従五位下,越中守 | 津軽信義と唐牛甚右衛門の娘・久祥院の子 |
5代 | 津軽信寿 | 寛文9/5/24[1669/6/22]-延享3/1/19[1746/3/10] | 従五位下,土佐守 | 津軽信政と増山正利の娘・不卯姫の子 |
6代 | 津軽信著 | 享保4/2/27[1719/4/16]-延享元/5/25[1744/7/5] | 従五位下,出羽守 | 津軽信寿の長男・津軽信興と近衛家煕の養女・梅応院の子 |
7代 | 津軽信寧 | 元文4/2/27[1739/4/5]-天明4/閏1/2[1784/2/22] | 従五位下,越中守 | 津軽信著の子 |
8代 | 津軽信明 | 宝暦12/6/22[1762/8/11]-寛政3/6/22[1791/7/22] | 従五位下,土佐守 | 津軽信寧と青木助右衛門の妹・歌喜の子 |
9代 | 津軽寧親 | 明和2/1/17[1765/3/8]-天保4/6/14[1833/7/30] | 越中守,従四位下,侍従,右京大夫 | 黒石領主・津軽著高と黒田直純の娘の子 |
10代 | 津軽信順 | 寛政12/3/25[1800/4/18]-文久2/10/14[1862/12/5] | 従四位下,出羽守,侍従 | 津軽寧親と杉浦正勝の娘・福姫の子 |
11代 | 津軽順承 | 寛政12/1/13[1800/2/6]-元治2/2/5[1865/3/2] | 従四位下,左近将監,大隅守 | 三河吉田藩主・松平信明と恵覚院の子 |
12代 | 津軽承昭 | 天保11/8/12[1840/9/7]-大正5[1916]7/19 | 侍従,土佐守,左近衛権少将,従一位 | 熊本藩主・細川斉護と青木甚之助の娘の子 |
「本所に過ぎたるものが二つあり, 津軽大名と炭屋塩原」と言われたという津軽家中屋敷は墨田区緑3丁目の錦糸町駅近くにありました.この中屋敷に祀られていた屋敷神が津軽稲荷神社として残っています.
津軽家中屋敷では津軽の特産物を保管・管理していました.明治維新後は陸軍が中屋敷を接収し,兵士の食料の保管・管理のために糧秣廠を設置.
前を流れていた道の中央を流れる堀割である南割下水[錦糸堀]は埋め立てられ北斎通りとなり,交差する大横川も公園となる中で,津軽稲荷神社は江戸を現代に伝えています.
2017/11/19
かつて,大横川に架かっていた長崎橋.
長崎橋は1697[元禄10]年,本所奉行の鈴木兵九郎と鳥屋久五郎によって,長さ10間[18メートル],幅2間半[4.5メートル]の木橋として架けられました.
長崎橋の名は橋の西側が本所長崎町だったことから.
posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.