養和二(1182)年/寿永元年

1181年から1182年にかけては1180年から始まった未曾有の大飢饉のために源平両軍の間に大きな戦闘は行われなかった。

大飢饉の様子は、鴨長明の『方丈記』に、仁和寺の僧侶が路上の死者の額に成仏のための「阿」の字を記していったところ、左京だけで4、5月の2ヵ月で42,300に達したとある。

言うまでもなく、この惨状は政権を担っていた平家一門に大きなマイナスとなって作用した。

1月

1日 佐野忠家が神馬を引く | 3日 頼朝、安達盛長邸に行く | 8日 鶴岡八幡宮で供養を行う | 23日 平 時家が鎌倉殿の家人となる | 28日 鎌倉殿が伊勢神宮に神馬献上

2月

2日 生澤五郎が神馬の飼育の怠慢を責められる | 8日 鎌倉殿が伊勢神宮に願書奉納 | 14日 伊東祐親が自害する | 15日 伊東祐清を誅する

4月

5日 文覚が江ノ島に弁才天を勧請 | 11日 平 貞能が鎮西で兵糧米を調達 | 20日 圓浄房が武蔵から鎌倉へ | 24日 鶴岡八幡宮周囲の田を池とする | 26日 文覚が断食を終えて戻る

5月

12日 伏見広綱が鎌倉殿の右筆となる | 16日 伊勢の外宮の禰宜為保が安田義定の御厨押領を訴える | 25日 金剛寺住持が古庄郷司近藤太の非法を訴える | 26日 金剛寺の訴えを審議する | 27日 寿永と改元される | 29日 源 行家が牒状を比叡山延暦寺に送る

6月

1日 鎌倉殿が愛人の亀ノ前を光家の邸に住まわせる | 5日 熊谷直実の旧領を返還する | 7日 鎌倉殿が由比ガ浜で牛追物を見物する | 8日 鎌倉殿が加藤景廉を見舞う | 20日 鶴岡八幡宮で怪奇現象が起こる

7月

12日 北条政子が出産のために比企谷殿に移る | 14日 新田義重が鎌倉殿の勘気を蒙る

8月

5日 鶴岡供僧禅睿の公事を免除する | 11日 北条政子の安産祈願 | 12日 源 頼家誕生 | 13日 源 頼家誕生を御家人が祝す | 14日 三夜の儀 | 15日 鶴岡六斎始まる | 16日 五夜の儀 | 18日 七夜の儀 | 20日 九夜の儀

9月

15日 北陸に展開していた平家軍が京都に帰還する | 20日 圓曉が鎌倉入り | 23日 圓曉が鶴岡八幡宮別当に任命される | 25日 源 希義が土佐で討死 | 26日 鶴岡別当坊が建設される | 28日 城 永用が源氏を呪詛する

10月

9日 木曾義仲が城 永用を破る | 17日 北条政子母子が比企谷殿より戻る | 比企能員を登用

11月

10日 北条政子が牧宗親に命じて鎌倉殿の愛人を匿っている広綱の邸を打ち壊す | 12日 鎌倉殿が牧宗親の髻を切る | 14日 北条時政が舅の宗親への仕打ちを不服として伊豆に退去する | 北条義時は父に従わず鎌倉に留まる | 20日 源 有綱に命じて土佐の蓮池、平田を討伐する

12月

1日 神主である生倫が平家による讒奏を注進する | 2日 伊勢神宮に祈祷を要請 | 7日 鎌倉殿が深夜に鶴岡八幡宮に参詣。その折に誰何した僧を褒める | 10日 亀ノ前が小坪に移る | 16日 北条政子が広綱を配流に処す | 30日 上総の御家人周西助忠らが本宅を安堵される

posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.