水戸徳川家
歴代
- 歴代藩主
- 初代徳川頼房
下総下妻藩より25万石で入封. - 2代徳川光圀
- 3代徳川綱条
讃岐高松藩主,松平[水戸]頼重の二男.
新田開発分を含めて表高を35万石に. - 4代徳川宗堯
讃岐高松藩主,松平[水戸]頼豊の長男. - 5代徳川宗翰
- 6代徳川治保
- 7代徳川治紀
- 8代徳川斉脩
- 9代徳川斉昭
- 10代徳川慶篤
- 11代徳川昭武
支藩
- 支藩備考
- 讃岐高松藩徳川光圀の兄・松平[水戸]頼重を祖とする.
- 守山藩徳川頼房の四男・松平[水戸]頼元を祖とする.
- 常陸府中藩徳川頼房の五男・松平[水戸]頼隆を祖とする.
- 常陸宍戸藩徳川頼房の七男・松平[水戸]頼雄を祖とする.
徳川頼房 Yorifusa Tokugawa
- 1603/09/15[慶長8/08/10]伏見城にて徳川家康と養珠院[万]との間に生まれる.幼名は鶴千代.養珠院は上総勝浦城主正木時忠の次男・正木頼忠と小机城主北条氏尭の娘.紀州徳川家の祖・徳川頼宣も養珠院の子.
- 1606/09/23[慶長11]常陸下妻藩10万石に封じられる.
- 1609/12/12[慶長14]水戸藩25万石に移封.
- 1616/07[慶長15]徳川家康の側室・英勝院の養子となる.
英勝院は里見家旧臣・太田康資の子とも.英勝院の兄は,豊島郡蓮沼500石を領した太田重正. - 1617/07[元和3]左近衛権中将となる.
- 1620/08/21[元和6]参議となる.
- 1626/08/19[寛永3]従三位権中納言となる.
- 1627/01/07[寛永4]正三位となる.
- 1636/07[寛永13]徳川を賜姓される.
- 1661/07/29[寛文元/7/29]死去
- 妻子
- 久昌院松平頼重[1622-1695]/徳川光圀[1628-1700]
久昌院は佐野城主・佐野信吉の家臣・谷重則の長女.谷家は六角義賢[1521-1598]の家臣の家柄.谷重則は出雲京極家臣で宇多源氏の伊勢安濃津城・富田一白に仕官.富田一白が織田信長,豊臣秀吉・秀頼に仕えます.富田一白の子の信吉が佐野家の養子となると谷重則も佐野に移りました. - 円理院[勝]道子[恵了院;1624-1664]:右大将権大納言・松殿道昭の婚約者.
亀丸[1625-1628]
万[長寿院;1627-1689]:太田資正室
菊[芳園院;1628-1706]:松平康兼室
松平頼元[1629-1693]
松平頼雄[1630-1697]
千[1635-1681]:真木景信室
松 - 寿光院[那々]寿光院は興正寺十八世准尊昭玄の娘.
棄[1627-1631]
小良[1628-1717]:英勝院の養女となり,英勝寺の開山住持に.玉峯清因尼.
松平頼隆[1629-1707]:常陸保内藩主、常陸府中藩初代藩主.
松平頼泰[1631-1717]
利津[光耀院;1632-1711]:山野辺義堅室
鈴木重義[1634-1668]:雑賀党鈴木氏で水戸藩士・鈴木重次[雑賀孫市]養子. - 玉宝院[喜佐]玉宝院は野沢家の出.
大姫[清泰院;1627-1656]:徳川家光の養女となり,加賀藩第3代藩主・前田光高[1616-1645]の室に. - 証真院[玉]証真院は播州光善寺長然の娘.三木之次の姪.
松平頼利[1630-1674] - 厚善院[愛]厚善院は丹波頼房の娘.
松平頼以[1631-1664]
松平房時[1633-1682] - 長松院[俊]布里[青松院;1633-1667]:本多政勝の次男で陸奥大久保藩主・本多政利の室.
竹[1636-1637]
梅[浄雲院;1638-1697]:水戸藩家老・宇都宮隆綱の室. - 真善院[七]真善院は大井田義能の娘.
犬[本源院;1634-1675]:松平頼重の養女となり,熊本藩細川家第4代藩主・細川綱利の正室となる.
市[清雲院;1639-1690]:酒井忠治の室. - 覚真院[幾都]覚真院は高野清兵衛の娘.
那阿[松寿院;1649-1709]:伏見衆・伊藤友次の室.
徳川光圀 Mitsukuni Tokugawa
- 1628/06/10[寛永5]徳川頼房と久昌院との間に三木之次[仁兵衛]屋敷で生まれる.
- 1632[寛永9]水戸城に入城.
- 1633/11[寛永10]世子に決定.
- 1634[寛永11]英勝院に伴われて江戸城にて江戸幕府第3代将軍・徳川家光に拝謁.
- 1636[寛永13]元服し江戸幕府第3代将軍・徳川家光から偏諱を受け光国と名乗ります.傅役は伊藤友玄・小野言員・内藤高康.
- 1640[寛永17/03/04]従四位上右近衛権中将
[〃/07/11]従三位 - 1654[承応3]前関白近衛信尋の次女・尋子[泰姫]と結婚します.
- 1661[寛文元/08/19]水戸藩28万石を承継.
- 1662[寛文2/12/18]参議に補任されます.
- 1679[延宝7]光圀と改名します.
- 1690[元禄3/10/14]隠居し兄で高松藩主・松平頼重の次男・徳川綱條に家督を譲りました.
- 1694[元禄7/3]小石川藩邸にて水戸藩家老・藤井徳昭[紋太夫]を刺殺.藤井徳昭は織田家家臣の流れを汲む旗本・荒尾久成の四男で,兄に旗本荒尾久次,荒尾成継がいます.また,伯父には鳥取藩家老の荒尾成利,荒尾嵩就,和田三正がいます.
藤井徳昭は第5代将軍徳川綱吉の側近・柳沢吉保の命を受けて徳川光圀の失脚を図ったとされています. - 1700[元禄13/12/06]西山荘にて亡くなりました.
- 妻子
- 親量院[弥智]親量院は玉井親次の娘.
松平頼常[1652-1704]:高松藩の第2代藩主
徳川綱條 Tsunaeda Tokugawa
- 1656[明暦2/08/26]高松藩主・松平頼重と土井利勝の娘・晧月院の子として江戸高松藩邸にて生まれます.幼名は采女.
古河藩主・土井利勝は江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の老中. - 1665[寛文5/08]兄の綱方が水戸藩主・徳川光圀に養嗣子として迎え入れられたことに続いて水戸徳川家に迎え入れられました.
- 1671[寛文11/06]兄の綱方が早世したことで,綱條が徳川光圀の養嗣子となりました.
前年に元服し,江戸幕府第4代将軍・徳川家綱から偏諱を受け綱條と名乗ります. - 1690[元禄3/10/14]水戸藩28万石の藩主に就任.
[〃/12/25]右近衛権中将となります. - 1693[元禄6/12/01]従三位参議に補任されます.
- 1701[元禄14/05/15]7万石の加増を受けます.
- 1705[宝永2/12/02]正三位権中納言に補任されます.
- 1716[正徳6]江戸幕府第7代将軍・徳川家継が倒れ,紀州藩主・徳川吉宗とともに徳川綱條が将軍候補となります.
- 1718[享保3/09/11]亡くなります.高松藩第3代藩主松平頼豊の長男・宗堯が養嗣子として藩主となります.
- 妻子
- 本清院[季姫]本清院は清華家当主・今出川公規[Kin'nori Imadegawa]の娘.徳川綱條の正室.
- 了照院[順]鍋千代/清姫/直松/友千代
子はいづれも夭折. - 禅定院[都礼]厳麻呂/豊麻呂/元姫/幸姫
以上、いづれも夭折.
吉孚[1685-1709]:鷹司輔信の娘・八重姫との間の子の美代姫は水戸藩第4代藩主徳川宗堯の正室. - 理xk羲/span>理xk罎楼羹于箸僚仗函ゼbr>金松[夭折]
徳川宗堯 Munetaka Tokugawa
- 1705[宝永2/07/11]高松藩第3代藩主・松平頼豊と覚了院の間に生まれます.幼名は軽麻呂.母の覚了院は湯浅家の出身.
- 1711[正徳元/11]水戸藩第3代藩主・徳川綱條の養嗣子となり鶴千代と改名.
- 1714[正徳4/05]従四位上左衛門督に補任されます.
- 1716[享保元]江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗から偏諱を受けて徳川宗堯と名乗ります.
正四位下左近衛権少将に補任. - 1718[享保3/10/15]水戸藩主となります.
[〃/12/01]従三位に昇叙.左近衛権中将となります. - 1720[享保5/12/01]参議に補任されます.
- 1730/05/23[享保15/04/07]亡くなりました.
- 妻子
- 泰受院[美代姫]徳川宗翰[1728-1766]:水戸藩第5代藩主.
- 岡島氏松平頼順[1727-1774]:水戸藩内にて2万石で分家を立てました.
徳川宗翰 Munemoto Tokugawa
- 1728[享保13/07/29]水戸藩第4代藩主・徳川宗堯と徳川吉孚の娘・美代姫との間に生まれます.徳川吉孚[Yoshizane Tokugawa]は水戸藩第3代藩主・徳川綱條の子.幼名は鶴千代.
- 1730[享保15]父・徳川宗堯が早世したため藩主の地位を相続します.相続に当たって,江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗は附家老の中山信昌に鶴千代の輔育を特別に命じました.
- 1736[享保21/04/13]鶴千代は元服し,将軍徳川吉宗の偏諱を受け宗翰を名乗りました.
元服と同時に,正四位下に補任され左近衛権少将・左衛門督に任じられます. - 1737[元文2/12/05]従三位となり、左近衛権少将となります.
- 1740[元文5/12/01]参議に補任されます.
- 1749[寛延2]水戸藩の支藩の守山藩主・松平頼寛[Yorihiro M.;1703-1763]と府中藩主・松平頼済[Yorisumi M.;1720-1784]が老中で出羽山形藩主・堀田正亮[Masasuke Hotta;1712-1761]に召喚され財政改革を命じられます.
老中の命を受けて,徳川宗翰は家老・太田資胤[Suketane Ohta]を省略掛に任命して宝暦改革を開始します. - 1756[宝暦6]家老・太田資胤が省略掛を致仕.以降,財政改革は頓挫することに.
- 1764[明和元]水戸城が全焼.
- 1766[明和3]亡くなりました.水戸藩主の座は長男の治保が承継しました.
- 妻子
- 絢君[郁子]正室.絢君[瑞懿夫人]は,桜町天皇の側近にして,太政大臣の一条兼香[Kaneyoshi Ichijo;1693-1751]の娘.
- 智仙院[美衛]智仙院は榊原氏の出身.
治保:水戸藩第6代藩主
勝五郎 - 開示院[尾上]開示院は中澤氏の出身.
直之允/直之助 - 瀬川瀬川は山本氏の出身.
時姫:高須藩主松平義裕の室.
松平頼救[Yorisuke M.;1756-1830]:宍戸藩主. - 毛利氏松平頼図:徳川宗翰の実兄・松平頼順[Yoriyuki M.;1727-1774]の養子となります.
- 岩倉岩倉は大西氏の出身.
嘉姫翰子:二条治孝[Harutaka Nijo;1754-1826]の正室.
国姫禎子:今出川実種[Saneane Imadegawa;1754-1804]の正室.
嶺姫:願入寺19代遍雄室. - 三宅氏保受:家老・山野辺義質[Yoshimoto Yamanobe;1781-1840]の父.
保福:松平頼脩の養子となりました.
中山信敬[Nobutaka Nakayama;1765-1820]:附家老・中山政信の娘婿となり附家老の座を継ぎました. - 深津氏金姫:鎌倉英勝寺住持.
家老等
- 家名備考
- 中山家松岡城2万5千石.附家老.
武蔵七党の丹党に属する加治氏の流れを汲む.中山家範は北条氏照に仕え,豊臣秀吉による小田原征伐時に八王子城で討死.その子・中山照守は徳川家康の下で大身旗本に.照守の弟・中山信吉は水戸藩の附家老に. - 山野辺家最上義光の四男・山野辺義忠を祖とする家.山野辺義忠は山形藩内の鮭延秀綱・楯岡光直から甥の最上義俊に代わって藩主候補として擁立.藩内は分裂[最上騒動].幕府が介入し山形藩は改易.最上義俊は近江大森1万石に転封.山野辺義忠は岡山藩預かりから水戸藩家老に.
- 鈴木家石見守家.
井伊谷三人衆・鈴木重時の子・重好を祖とする. - 太田家江戸太田氏の太田康資の子・重正を祖とする.
- 鈴木[雑賀]家雑賀党鈴木氏の当主・重朝を祖とする.鈴木重朝は関ケ原の戦いで西軍として戦い伏見城にて鳥居元忠を戦死させた人物.敗戦後,伊達政宗に仕え,その後,徳川家康に召し抱えられ,水戸藩の徳川頼房に附けられた.子の重次が徳川頼房の十一男を養子・鈴木重義として迎えた.
- 宇都宮家戦国大名・宇都宮氏の嫡流.豊臣秀吉により改易された宇都宮義綱の子・隆綱を祖とする.
posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.