歴代 | 藩主 | 備考 |
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初代 | 佐竹義宣 Yoshinobu Satake | 佐竹義重と伊達晴宗の娘との子. 関ケ原合戦後,徳川家康により,常陸から出羽秋田への転封を命じられる. 慶長7[1602]年9月17日,土崎湊城に入城.角館城・横手城・大館城を統治の拠点とする. 嗣子に恵まれず,義宣の弟・岩城貞隆[1583-1620]の子で亀田藩主の岩城吉隆を嗣子とする. 生:1570/08/17 没:1633/03/05 |
2代 | 佐竹義隆 Yoshitaka Satake | 佐竹義宣の弟・岩城貞隆と相馬義胤の娘の子. 元和6[1620]年,父・岩城貞隆の死去に伴い,遺領の信濃中村1万石を相続. 元和9[1623]年,出羽由利郡に替え地を与えられ,由利郡亀田に陣屋を構える. 寛永3[1626]年,出羽久保田藩主・佐竹義宣の養嗣子となる. 生:1609/02/18 没:1672/01/04 |
3代 | 佐竹義処 Yoshizumi Satake | 佐竹義隆と佐竹義章の娘・光聚院[寿流姫]の子. 元禄14[1701]年,弟の義長に2万石,庶兄の義寘[Yoshioki]の子・義都[Yoshikuni]に1万石を分与. 次男・相馬叙胤[Soma Nobutane]は相馬中村藩主に,三男・佐竹義格は久保田藩主を承継. 生:1637/10/09 没:1703/08/05 |
4代 | 佐竹義格 Yoshitada Satake | 佐竹義処と布施氏の娘・智清院との子. 生:1695/01/25 没:1715/08/17 |
5代 | 佐竹義峯 Yoshimine Satake | 出羽岩崎藩初代藩主・佐竹義長と松浦信忠の娘・聖相院との子. 久保田新田藩初代藩主・佐竹義都[Yoshikuni]の長男・佐竹義堅[Yoshikata]を養嗣子とするも先立たれたため,佐竹義堅の子・義真を嗣子とした. 生:1690/10/14 没:1749/09/21 |
6代 | 佐竹義真 Yoshimasa Satake | 久保田新田藩初代藩主・佐竹義都[Yoshikuni]の長男・佐竹義堅[Yoshikata]と野口氏の娘との子. 生:1728/08/04 没:1753/09/17 |
7代 | 佐竹義明 Yoshiharu Satake | 出羽岩崎藩主・佐竹義道と佐竹義長の娘・昆[明鏡院]との子. 銀札発行を巡って秋田騒動が勃発. 生:1723/12/02 没:1758/04/25 |
8代 | 佐竹義敦 Yoshiatsu Satake | 佐竹義明と佐竹義峯の娘との子 生:1748/11/24 没:1785/07/06 |
9代 | 佐竹義和 Yoshimasa Satake | 佐竹義敦と三木宇平太の娘・三木清[清瀧]との子 生:1775/01/31 没:1815/08/12 |
10代 | 佐竹義厚 Yoshihiro Satake | 佐竹義和と北川氏の娘・玲光院との子. 久保田藩家老・小野岡義音が幼少であった義厚の擁立に反対するも,家老・疋田厚綱の主張により藩主として擁立. 生:1812/08/23 没:1846/10/27 |
11代 | 佐竹義睦 Yoshichika Satake | 佐竹義厚と阿部氏の娘・松仙院[松操院]との子. 藩政を掌握していた家老・佐藤源右衛門を蟄居させる.これに対して,佐竹東家当主・佐竹義祚[Yoshitoshi]は佐藤派の復権を謀るも失敗. 生:1839/07/02 没:1857/08/20 |
12代 | 佐竹義堯 Yoshitaka Satake | 陸奥相馬中村藩主・相馬益胤と池田氏の娘との子.久保田藩の第3代藩主・佐竹義処の直系子孫.岩崎藩主・佐竹義純の養嗣子となり相続.その後,宗家の久保田藩を相続. 生:1825/09/09 没:1884/10/23 |
posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.