滑川に架かる大御堂橋を渡ってやや東側の大御堂ヶ谷にあった寺院。
1185(文治元)年に源 頼朝が父の義朝の菩提を弔うために建立。
源 義朝と郎党の鎌田政清(政家)の頸を埋葬したという。
勝長寿院は鶴岡八幡宮と並ぶ鎌倉の寺院として位置づけられ、本尊は定朝の手による金色阿弥陀仏像。他にも運慶の手になる五大尊像が安置された。
伽藍も壮大で阿弥陀堂、五仏堂、法華堂、三重宝塔があったという。
鎌倉幕府滅亡後は足利公方家によって維持されたが、公方家が鎌倉を去ると衰退の方向へ向かい、16世紀には廃絶。
この狭い谷にかつては大伽藍があったとは想像も出来ない。ただ、発掘された礎石などを目にすると、かつての姿が浮かんでくる。
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