20日 梶原景時一族が新幕府樹立を目指して上洛の途上、駿河国清見で討たれる | 23日 三浦荒次郎義澄[1127-1200/2/9]が逝去する
5日 梶原景時の死によって和田義盛[1147-1213/5/24]が侍所別当に復職する
寿福寺が建立される
14日 第2代将軍源頼家が年老いた岡崎平四郎義実[1112-1200/8/2]に所領を与える
1日 北条時政[1138-1215/2/6]が従五位下となり遠江守に任ぜられる | 安達藤九郎盛長[1135-1200/6/9]が逝去する
5日 第2代将軍源頼家が従四位上に叙せられる | 28日 源頼家が畠山重忠[1164-1205/7/10]が守護を務める陸奥国葛飾郡新熊野社領の境界紛争を一筆で決着させ顰蹙を買う
21日 岡崎義実が逝去する
2日 後鳥羽上皇の要請によって佐々木経高[-1221/7/7]の淡路、阿波、土佐守護職を解任する。
これは、1199[正治元]年の源頼朝の死後の7月に淡路、阿波、土佐の軍勢を京都に集結させたことが原因。
源頼家による治承・養和以降の恩賞地に関する田文提出を三善康信[1140-1221/8/27]が諫止する
posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.