源頼朝の館の北にあった持仏堂を、頼朝が亡くなった1199[正治元]年に廟所にした神社。
1247[宝治元]年6月に、北条時頼によって攻められた名門御家人三浦泰村率いる三浦一族は、もはや勝ち目がないとみるや居館を立ち去り、鎌倉殿[源頼朝]への最期のご奉公と法華堂に立て篭もって一族郎党約500名が自刃した。
なお、現在の社殿は1970[昭和45]年に明治維新100年を記念して源頼朝公報恩会によって造営されたもの。
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