平忠常の乱を引き起こした忠常の子孫は許されて上総国・下総国へと勢力を拡大していった.
結果的に,平忠常が一代で武力によって拡大しようとして失敗した野望を,その子孫達が時間を掛けて達成していったと言える.
両総平氏と呼ばれた一族は,祖である平忠常が河内源氏初代・源頼信と主従の関係を取り結んでいたのと同様に,河内源氏第二代・源頼義,第三代・八幡太郎義家と主従の関係を結び,「前九年合戦」と「後三年合戦」を戦う.
そして,鎌倉を拠点とした武門の棟梁・源氏一門の郎党として,房総半島に大椎氏[千葉氏祖],上総氏,千田氏,大須賀氏,海上氏といった諸家に分かれて発展.
また,源頼朝の挙兵時に従った千葉常胤の子が立てた六家は「千葉六党」と呼ばれ鎌倉幕府における一大勢力をなした.