古墳時代
3世紀末から4、5世紀にかけて304年
中国で晋王朝の力が衰え北方遊牧民族による五胡十六国時代が到来。313年
ローマ帝国がキリスト教を公認。346年
中国の統一王朝支配から解放された朝鮮半島南部で西に馬韓、東に辰韓、中部に弁韓の各諸国群成立。このうち、馬韓諸国を百済が346年に統一。辰韓諸国を統一した新羅と北方の高句麗との半島三国時代が始まる。376年
フン族が西方へ大移動。押し出された形で西ゴート族がローマ帝国領に大移動(ゲルマン民族大移動)。395年
ローマ帝国が東西に分裂する。476年
西ローマ帝国滅亡。479年
讃・珍・済・興・武の倭五王の武とされる第21代雄略帝(大泊瀬幼武尊/おおはつせわかたけ[418-479])薨去506年
第25代武列帝薨去により第15代応神帝に始まる河内王朝が断絶。507年
大連の大伴金村が越前(あるいは近江)から男大述王を招請。男大述王は継体帝として即位。男大述王は応神五世の孫とされる。
「天皇既に崩りまして、日続(ひつぎ)知らすべき王(みこ)無かりき。故、品太(ほむだの/応神)天皇の五世(いつつぎ)の孫(ひこ)、蓑本杼(をほどの)命を近つ淡海国より上りまさしめて、手白髪(たしらがの)命に合わせて、天の下を授け奉りき」
『古事記』武列記より
「品太王の五世の孫、蓑本杼命、伊波礼(いわれ)の玉穂宮(たまほのみや)に坐(ま)しまして、天の下治(し)らしめしき」
『古事記』継体記より
512年
大伴金村、百済に任那4県割譲問題によって失脚。
五経博士による儒教伝来。
527年
筑紫国造磐井の乱。538年
百済の聖明王から大和朝廷に仏像と経典が贈られる。これが日本への公式ルートによる仏教伝来。いわゆる伽藍仏教伝来(『仏教公伝』。『日本書紀』『上宮聖徳法王帝説』によれば仏教伝来は552年)。仏教容認派:蘇我稲目v.s.廃仏派:物部尾輿
587年
蘇我馬子が物部守屋を攻め滅ぼす契機は用明天皇が薨去した後の後継者問題
これにより長随彦敗北によって大和朝廷傘下に入った物部氏が大和の地から姿を消す。