水野信元

天正3[1576]-12-27没.

三河緒川城主水野忠政の次男.尾張緒川城主.三河刈屋城主.通称は藤四郎.受領名は下野守.松平信定[桜井松平家;?/天文7[1538]-11-27]の女を妻とした.

徳川家康の生母である於大の方の異母兄.

天文12[1543]年,駿河の今川義元から離反し,尾張の織田信秀に帰属.

水野家は緒川城に拠る緒川水野家と刈谷城に拠る刈谷水野家,そして,大高水野家常滑水野家*からなっていた.緒川水野家信元が受け継ぎ,刈谷水野家は弟の信近*が受け継いだ.しかし,桶狭間合戦の直後,鳴海城に籠城し討ち取られた主君である今川義元の首級の引き渡し交渉を織田信長と行っていた岡部元信は要求を実現.駿府へと退却する途上で刈谷城を攻め,水野信近*は討死.この結果として,水野信元刈谷水野家を併せる.統合された水野家は大きな勢力を有するようになり,室町幕府からも織田信長に従属する立場ではなく同盟者であると認識されたという.

天正3[1575]年,長篠の戦いの後に,武田勝頼に内通した嫌疑で,織田信長の命を受けた徳川家康の家臣である平岩親吉により討伐された.

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