生年:永享9[1437]年.
三河国守護職の一色家の勢力が衰えると,大野・内海の佐治家,三河国田原から師崎・河和へと進出した戸田家と共に水野家が台頭.その水野家を台頭させたのが水野貞守.
尾張国春日井郡山田庄水野[愛知県瀬戸市]から尾張国知多郡小川村[愛知県知多郡東浦町緒川]へと本拠地を移した尾張源氏の小河重房[1129/1131/?]を祖とする.小河正房は土岐一族の東池田氏と共に仁木義長[正安2<1300>/天授2,永和2-09-10<1376>]に与して,土岐直氏[元弘元<1331>/天授6,康暦2-11-14<1380-12-12>]によって緒川濁池城において討ち取られ小河一族は離散[太平記35].一族の一部は信濃国小川村布留山へと落ち延びた.
水野貞守は信濃国から尾張国へと戻ると,文明7[1475]年,土岐氏の代官である竹内八郎を駆逐し,小河重房の旧跡[高藪城]に緒川城を築城.緒川・大高・常滑を勢力圏とした.
文明7[1475]年に水野家の菩提寺として,逆翁宗順を開山,川僧慧済を勧請開山として迎え乾坤院[愛知県知多郡東浦町大字緒川字沙弥田]を建立.