藤原伊周

出生:天延2[974]年.没年:寛弘7年1月28日[1010-02-14].藤原北家中関白家.正二位.内大臣.

帥内大臣,儀同三司ともいう.摂政関白内大臣藤原道隆高階貴子との子.

正暦5[994]年,父の藤原道隆の引き立てによって,年上の叔父の道長を追い越して内大臣に就任.道隆の妹で一条天皇の生母である東三条院詮子を含めた周囲の反発を招く.長徳元[995]年,藤原道隆が亡くなると,伊周は後ろ盾を失う.また,道隆の同母弟の道兼が関白・氏長者に任ぜられるも疫病により7日後に世を去る.ここに,伊周と叔父道長の政争が激化.東三条院詮子の後押しにより道長が右大臣と氏長者に任ぜられる.

さらに,長徳2[996]年に伊周は自分の恋人である太政大臣藤原為光の三女のもとに花山法皇が通っていると勘違いし,弟の隆家と共に法皇の一行を襲撃するという長徳の変を引き起こす.花山法皇の寵愛を受けていたのは藤原儼子であり,伊周が通っていたのは三の君だったのであるが,事件は政治問題化.

隆家は出雲権守に,伊周は大宰権帥に左遷という処分が下る.後に復権するも,叔父道長の権勢は確固たるものとなっていて,かつての勢いを取り戻すことは出来なかった.

系譜



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