松平信次
出生:不詳.没年:永禄6年[1568].三河佐々木城[岡崎市上佐々木町梅ノ木]を本拠とした.天文2[1533]年,松平信次は尾張梅森へと移り梅森城を築城したという.宗家が今川家に与する一方で,織田家に与したものと考えられる.一方で,松平信次の兄の松平三左衛門忠倫は,安祥松平家の松平広忠により討たれたとされる.
後に,松平信次は今川義元により兄の所領であった佐々木郷を拝領する.ところが,桶狭間の戦いにより今川義元が織田信長に討たれると,松平元康[徳川家康]が今川家から独立.三河一向一揆が勃発すると,松平信次は再び松平宗家と対立.敗れて三河を去ったとも討死したともいう.
一説に,松平信次は広忠の叔父ともいう.
系譜
- 松平信忠 次郎三郎 蔵人.
- 清康 世良田次郎三郎.徳川家康の祖父.隠居の祖父長親と一門衆による父信忠の隠居により家督相続.織田信秀と対立する織田寛故と連携して尾張へと侵攻.織田信秀の弟信光の守山城を攻めている時に家臣の阿部正豊により殺害される[森山崩れ].
- 広忠 岡崎城主.竹千代 仙千代 次郎三郎 三郎 岡崎三郎.父の死後,吉良持広の庇護により伊勢神戸へと逃れる.松平信孝の支援により岡崎城帰還.岩松八弥により刺殺.
- 信康 源次郎 信家.織田信秀による安祥城攻めにおいて討死.
- 忠政 従五位下 右京大夫.勘六 宗賢.松平彦大夫忠元・松平万之助政備・松平平十郎政親の三家の祖.
- 樵臆恵最 瑞雲山広忠寺住持.
- 家康 松平竹千代 元信 元康.武蔵大納言 大御所 東照大権現.江戸幕府初代征夷大将軍.
- 市場姫 八ツ面城主荒川義広の妻.後に,伊賀上野藩主筒井定次室.
- 香樹院 吉良義安室.
- 碓井姫 長沢松平政忠室.後に,酒井忠次室.
- 成誉 大樹寺14世住持.
- 信孝 蔵人佐,与十郎.械[合歓木]松平家・三木松平家の祖.
- 康孝 十郎三郎.
- 忠倫 三左衛門.安祥合戦時に上野城主酒井忠尚と共に織田方に寝返り,松平広忠の命を受けた筧重忠により暗殺.
- 信次 三蔵.尾張梅森城主[愛知県日進市梅森台].後に,三河佐々木城主.
- 忠就 直勝ともいう.三蔵.三河一向一揆で佐々木村の上宮寺に味方し討死.
- 高照 道西.眺景寺[愛知県日進市梅森台]住持.
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