ジャクソンの時代
歴代大統領
第5代J.モンロー大統領[1817-1825]→第6代J.Q.アダムズ[1825-1829]→第7代ジャクソン[1829-1837]→第8代ヴァン・ビューレン[1837-1841]
略年表
- 1817年:11)第1次セミノール戦争[Seminole Wars]開戦.エドモンド・ペンデルトン・ゲインズ准将[Edmund P. Gaines]がジョージア南西部のファウルタウン[Fowltown]のネアマスラ酋長を攻撃.土地の支配権を巡る争いが発端.セミノール[Seminole]とは,フロリダに集まったミカズキ語[Mikasuki language]などを話すインディアンを主とする集団.逃亡奴隷も含んでいた.
- 1818年:4)アンドリュー・ジャクソン将軍がスペイン領東フロリダに侵攻する.
10)1818年英米条約締結.北緯49度線で英領カナダと米国との国境を画定.ロッキー山脈以西のオレゴンを英米共同領有地とする. - 1819年:2)アダムズ=オニス条約[Adams–Onís Treaty]締結.スペイン領フロリダの米国への割譲が決まる.米国は1812年戦争で占領した西フロリダに加えて,アンドリュー・ジャクソン将軍が占領した東フロリダも獲得.
12)マサチューセッツ州からメイン州が分離独立し自由州として合衆国への加盟申請.2月のミズーリ州の奴隷州としての合衆国加盟申請と合わせて政治問題化[ミズーリ論争]. - 1820年:3)ミズーリ妥協[Missouri Compromise]が成立する.下院議長ヘンリー・クレイ[Henry Clay Sr.]により,メイン州を自由州,ミズーリ州を奴隷州とし,旧ルイジアナのうちミズーリ州の南の境界線以北での奴隷州は認めないとする妥協が成立.自由州と奴隷州が同数の12州づつとなる.
ミズーリ論争により民主共和党は内部分裂.第3代ジェファーソン大統領・第4代マディソン大統領,第5代モンロー大統領とヴァージニア出身のジェファーソン派が大統領職を担ったヴァージニア王朝[Virginia Dynasty]に翳り.
12)大統領選挙.現職のモンロー大統領の対抗馬無く再選. - 1822年:3)モンロー大統領がラプラタ連邦[1816]・チリ[1810]・ペルー[1821]・大コロンビア[1819]・メキシコ[1821]の旧スペイン領ラテンアメリカ5国の独立承認を促す教書を議会に送付.
10)ヴェロナ会議[Congress of Verona].神聖同盟[Holy Alliance]参加主要国がスペイン立憲革命の鎮圧のためにフランス軍出兵を認め,ブルボン朝のスペイン王フェルナンド7世[Fernando VII]の王権を回復.ラテンアメリカ諸邦への出兵の機運も高まる. - 1823年:8)英国外相ジョージ・カニング[George Canning]がモンロー大統領に対し神聖同盟によるラテンアメリカ干渉への反対声明の提案.モンロー大統領は米国のカリフォルニア進出が阻害されることを嫌い米国単独宣言へ.
12)モンロー大統領が,ヨーロッパ諸国に対し,アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間相互不干渉を内容とするモンロー主義[Monroe Doctrine]を発表. - 1824年:12)大統領選挙.ジョン.Q.アダムズ[John Quincy Adams]国務長官,ウィリアム・クロフォード[William Harris Crawford]財務長官,ジョン.C.カルフーン[John Caldwell Calhoun]陸軍長官,アメリカ・システムの提唱者ヘンリー・クレイ[Henry Clay Sr.]下院議長,1812戦争の英雄であるアンドリュー・ジャクソン[Andrew Jackson]が立候補.ジャクソンとアダムズの決選投票となり,クレイが支持したアダムズが大統領に選出される.第6代ジョン・クインジー・アダムズ大統領の父親は第2代ジョン・アダムズ大統領.
- 1825年:民主共和党内でジャクソン派が勢力を拡大.ジャクソン派は民主党[Democratic Party]を形成していく.
ジョン・Q・アダムズ大統領支持者と反ジャクソン派が国民共和党[National Republican Party]を形成. - 1828年:5)製造業保護のために高関税を課す1828年関税法[the Tariff of 1828]成立.
12)大統領選挙.現職のジョン・クィンシー・アダムズ大統領を,アンドリュー・ジャクソンが下す. - 1830年:5)ボルティモア・オハイオ鉄道[Baltimore and Ohio Railroad,B&O]開通.
インディアン移住法[Indian Removal Act]が成立する. - 1832年:7)大きな政府を嫌うジャクソン大統領が第2合衆国銀行の特許更新を拒否.
11)サウスカロライナ州が1828年関税法[唾棄すべき関税,the Tariff of Abomination]の適用を拒否する[連邦法無効宣言].
12)大統領選挙.民主党の現職のジャクソン大統領が国民共和党のヘンリー・クレイ,反メイソン党[Anti-Masonic Party]のウィリアム・ワート[William Wirt]を破って再選.無効化党[Nullifier Party]のジョン・フロイド[John Floyd]もサウスカロライナ州の選挙人を獲得した. - 1834年:5)反ジャクソンの国民共和党・反メイソン党支持者がホイッグ党[Whig Party]を結成.
- 1835年:12)第2次セミノール戦争勃発.インディアン強制移住法に反対するセミノールを指導者オセオーラが率いて叛旗を翻す.42年にセミノールが敗北.
- 1836年:2)アラモの戦い[Battle of the Alamo].テキサス独立派義勇兵[テクシャン軍]が篭るサン・アントニオをサンタ・アンナ大統領[Antonio López de Santa Anna Pérez de Lebrón]率いるメキシコ軍が攻撃.3/6にテキサス独立派義勇兵が壊滅.
3/2)テキサスに入植したアメリカ人がメキシコからの独立を宣言.
3/26)ゴリアドの虐殺[Goliad Campaign].メキシコ軍の捕虜となっていたテキサス独立派義勇兵がゴリアドで虐殺される.
4/21)サン・ジャシントの戦い[Battle of San Jacinto].独立派のサム・ヒューストン将軍[Samuel Houston]がサンタ・アンナ大統領率いるメキシコ軍に勝利.サンタ・アンナ大統領は捕虜となる.
4)サンタ・アンナ大統領がテキサス暫定政府との間でベラスコ条約[Treaties of Velasco.]を締結しテキサス共和国を認めメキシコ軍の撤退を命令.サンタ・アンナ大統領は1837年にメキシコに帰国を許された.
7)ジャクソン大統領が正貨流通令[Specie Circular]
を発出.西部の土地は金貨と銀貨の正金[Specie]でしか購入できなくなる.
10)テキサス共和国[Republic of Texas]発足.初代大統領にサム・ヒューストンを選出.テキサス共和国は合衆国に奴隷州としての併合を打診.ホイッグ党と奴隷制廃止論者の反対とメキシコとの戦争回避のためテキサス共和国の併合を拒否.
12)大統領選.現職副大統領のヴァン・ビューレン[Martin Van Buren]がホイッグ党のダニエル・ウェブスター上院議員[Daniel Webster],ウィリアム・ハリソン[William Henry Harrison],ヒュー・ローソン・ホワイト[Hugh Lawson White]を破って第8代大統領に選出される. - 1837年:3)米国がテキサス共和国を承認.続いて,フランスなどのヨーロッパ諸国が承認.英国は米国の領土拡張の抑止のために併合しないことを条件として米国にテキサス共和国の承認を勧めていた.
5)ニューヨークの銀行が正金[Specie]の支払いを停止.1837年恐慌[Panic of 1837]の本格化.ジャクソン大統領が1832年7月に第二合衆国銀行の存続に拒否権を行使.以降,第二合衆国銀行は業務停止までの4年間業務を引き締めたこと,正貨流通令による正金需要増なども引き金. - 1838年:5)涙の道[Trail of Tears].チェロキー族の現オクラホマ州のインディアン居留地への強制移動[Population transfer]が実行される.ジャクソン大統領の時代に制定されたインディアン強制移住法[1830]に基づく措置.
- 1840年:12)大統領選挙.ホイッグ党のウィリアム・ハリソン[William Henry Harrison]が民主党の現職であるヴァン・ビューレン大統領を破る.
米国史
Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.
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