英国ピューリタン革命
1629年
チャールズ1世が議会を解散。以後、11年間議会は開催されず国王の専制となる。1637年
チャールズ1世、スコットランドに英国国教会への信仰を強制。1639年
スコットランドで英国国教会強制に対する叛乱勃発。1640年
チャールズ1世、スコットランドの叛乱を鎮圧するための費用捻出のために議会を召集。しかし、わずか3週間で解散したため「短期議会」と称される。続いて、1653年まで続く長期議会が召集される。1641年
長期議会が国王の政策変更を迫る大諫議書を提出。1642年
王党派と議会派による内戦が始まる。いわゆる「ピューリタン革命」。1644年
マーストン・ムーアの戦いで議会派を率いるクロムウェル(1599-1658)の鉄騎軍(Ironsides;43年創設)が勝利を収める。1645年
ネーズビーの戦いで議会派の新型軍が王党派を破り、議会派の勝利が事実上確定する。1647年
チャールズ1世が議会派に囚われる。国王の処遇を巡って議会派内部で長老派、独立派、水平派が対立。1649年
独立派を率いるクロムウェルが長老派を抑え議会派を制する。この結果、チャールズ1世が処刑され、イギリスに共和制が成立。1651年
重商主義政策の一環として、航海条例を発布。第一次英蘭戦争勃発。1653年
クロムウェルが護国卿に就任。独裁色を強める。1658年
クロムウェルの死後、子のリチャードが護国卿に就任。しかし、独裁制に対する国民の不満を抑えることが出来ず、1659年に護国卿を辞任。1660年
共和制時代にフランスやオランダの支援で反英活動を行っていたチャールズ2世(チャールズ1世の子)が国王として即位。これによって王政復古がなるが、独裁を嫌った議会側と強い王政を望む国王側の溝は埋めがたく、やがて名誉革命へと時代は流れていく。