藤原北家>魚名流
武蔵国足立郡[埼玉県さいたま市周辺から東京都足立区]
新潟県小千谷市片貝町・西蒲原郡弥彦村矢作,鳥取県米子市和田町,島根県松江市手結・恵曇町・佐陀本郷・熊野に多い.
源頼朝の流人時代からの側近である安達盛長を祖とする家柄.安達盛長の父親は藤原北家魚名流の小野田兼広と言われる.安達盛長の兄は藤原遠兼であり,その子は足立遠元.藤原遠兼が武蔵国足立郡に土着したことによって足立を名乗ったという.安達氏の名乗りも足立に由来すると思われる.
鎌倉幕府の第8代執権・北条時宗が亡くなると,御家人の筆頭格であり,北条得宗家の外戚でもあった安達泰盛と,北条得宗家の内管領である平頼綱との対立が激化.1285[弘安8]年,平頼綱が安達泰盛主従を襲撃し自刃に追い込んだ[霜月騒動].続く戦闘で安達一族約500名が自刃.
全国でも安達一族の追討が行われ,上野国・武蔵国では全滅に近く,遠江国では安達宗顕,常陸国では安達重景が自刃,九州では泰盛の子である安達盛宗が討ち取られた.
越後国や出雲国などでは命脈を保った.