藍原 Aihara

出自小野氏>横山党
発祥地相模国高座郡藍原[東京都町田市相原町]
分布佐渡市,新潟市
備考承久の乱の後に,鎌倉幕府執権の北条義時は乱を鎮圧した恩賞として叔父の大仏時房に佐渡を与えた.これに際して,大仏時房の被官であった本間氏,藍原氏,土屋氏,渋谷氏が佐渡代官として佐渡に渡った.
藍原氏は佐渡の加茂郡吉井郷を本拠とし吉井城を築城.
戦国時代,河原田本間氏の当主であり河原田城主の本間高統は佐渡の過半を支配するようになる.この状況に対して,羽茂本間氏の本間高季が叛旗を翻す.1589[天正17]年,河原田・羽茂の両本間家を仲裁するという名目で上杉景勝が軍事介入.上杉軍を率いた直江兼続が佐渡に侵攻し,河原田城を攻めた.この時,藍原秀氏は渋谷真住とともに本間高統の家臣として奮戦するも討ち死にした.
藍原氏の発祥の地は粟飯原と言われた場所.藍原氏は粟飯原氏とも書き,平安時代から鎌倉時代にかけて武蔵七党の一員として活躍.しかし,1213[建暦3]年の和田合戦にて和田義盛方に与して北条得宗家と干戈を交え,一族の多くは討ち死にした.その後,残った末裔は北条得宗家に仕えるに至った.
粟飯原の地は1594[文禄3]年に境川を境界線として北は武蔵国多摩郡,南は相模国高座郡に分割された.
関連氏族櫛間氏,九間氏,久島氏