蝦夷地と呼ばれた北海道および奥羽北部を勢力下においていた一族.
奥六郡を支配した安倍貞任[1019-1062]の子である高星を祖とする.安倍貞任は前九年の役において源頼義[988-1075]と干戈を交えた.安倍一族は源頼義によって滅ぼされたが,その血脈は奥州藤原氏や安東氏によって引き継がれていった.
鎌倉幕府第2代執権・北条義時[1163-1224]の代に,安藤堯秀を蝦夷管領に任じている.但し,当時は北条得宗家からは陸奥国平賀郡岩館に平[曾我]広忠が派遣されており,この津軽曾我氏が安東氏も支配下に置いていたともされる.
また,その当時,外の浜安藤氏[五郎家]と西浜安藤氏[太郎家]という二家が並び立っていたともいう[五郎家vs太郎家].元応2[1320]年に蝦夷が叛乱を起こすと,安藤五郎太郎季長と安藤五郎三郎季久との間で内紛が勃発.得宗家は蝦夷管領を安藤五郎太郎季長から安藤五郎三郎季久に変えることで混乱の収束を狙うも失敗.嘉暦元[1326]年には御内侍所・工藤貞祐が派遣される.工藤貞祐によって安藤季長は捕縛.それでも混乱は終息しなかったため,鎌倉幕府によって宇都宮高貞・小田高知が派遣され,両安東氏で和睦が成立.以降,安藤季長の系統は宗季から高季・兼季へと続く大光寺系[上国家]となり,安東季久の系統は貞季・盛季と続く藤崎系[下国家]と,安東氏は二家に分裂したと考えられている.
津軽安東氏が秋田城主となり秋田氏を称した.
後に,三春藩主となる.