清和源氏河内源氏の傍流・甲斐源氏南部氏流.
南部氏初代・南部光行の三男・実長[1222-1297]を祖とする.
父・南部光行から甲斐国巨摩郡飯野御牧内の波木井郷[現在の南巨摩郡身延町梅平一帯]を相続し波木井を称した.南部実長の長男実継の家系は建武年間に甲斐国から陸奥国の糠部郡奉行として陸奥国に下向し,陸奥国を地盤とする八戸家[根城南部家]となる.一方,甲斐国波木井郷は四男の長義が受け継いだ.
当初は,奥州探題の大崎家との関係を通じて室町幕府との繋がりを権力の拠り所としていた.しかし,奥州探題大崎家の勢力が衰微したことに加え,天文期に義継,勝義の2代の当主が相次いで亡くなり,一族の新田家から政栄を婿養子として迎えざるを得なくなる.
八戸政栄は祖父の新田盛政の後見を受けて勢力を保持したものの,ことここに至って,宗家である三戸南部晴政の影響力が増してくる.八戸家は,それまで,四戸家・七戸家との同盟関係を取り結んでいた.そこに,三戸南部家の重臣・東家による四戸家・八戸家の離間工作が行われ,遂には,四戸家と八戸家は戦闘状態に陥る.
豊臣秀吉による奥羽仕置によって,三戸南部信直が総領主権を得ると完全に三戸南部家の支配下に入り,以降は八戸のみを名乗り,南部を名乗ることはなかった.
一戸,七戸,四戸,九戸,三戸,波木井